今週はメイソン・グリーンウッドについてぜひとも書いておきたく、いつも通り週末のうちに文章を用意していた。
その後皆さんもご存知の通り、8/21(月)にマンチェスター・ユナイテッドから問題への最終見解となる声明が発表された。少し時系列的に複雑にはなってしまうが、最終結論と私が提起したい論点は少し切り分けて考えてほしいという意図のもとに、ここではまず日曜までに執筆していた文章を無編集でそのまま残す。その上で文末に結論が出た後の感想についても書いておくことにする。
↓ここから、8/20(日)に執筆していた文章
おそらくこのSubstackを購読してくださっているのは、私が発信するEFLについての情報を目当てにされている方がほとんどであろうと思う。
なのであらかじめ断っておく。今週の記事の前半部分はEFLに関係する話ではない(フットボールカルチャーには関係する)。記事後半はいつも通りのEFLアイキャッチなので、もし興味がないという方は後半まで飛ばしていただきたい。
今週ぜひとも考えておきたいと思ったテーマ、それは「メイソン・グリーンウッド」についてである。
彼のマンチェスター・ユナイテッド復帰報道については既に多くの方がご存じのことかと思うので、ここで詳細を書くつもりはない。もちろんそれぞれの人がそれぞれの意見を持っていて然るべきだと思うし、べき論ではなく各々が自分の意見を言い合うことが重要だ。
偶然にも今私は当地イギリス(マンチェスターではないが)に住んでいるので、ソーシャルメディアや日常のふとした会話の中でもフットボールに関する話をすることが多い。まだたった1ヶ月しか住んでいないが、「あるクラブ」のファンとはこれまでもTwitterなどを通して日常的にフットボールの話題を共有してきたこともあって、価値観としては少なくとも「ずっと日本に住んでいる人」よりはイギリスに近いものを持っていると思う。
現在、イギリス国内でメイソン・グリーンウッドの選手としての復帰(ユナイテッドに、ではない)を支持する声はほとんど聞いたことがない。当然性別問わず、である。言うならばほぼ人類の敵のような存在であり、口に出すことすらタブーといった雰囲気すらある。賛成派が完全にいない、とまでは言わないが、そういった意見は即座に周りの大多数からの反論を受ける。
公正を期すためにまず私の意見を述べると、個人的には「彼は二度とフットボーラーという地位に戻るべきではない」と思っている。
その大前提として、あの恐るべき録音と写真の存在がある。多少なりとも英語が理解できる人であれば、あの音声の凄惨さはここで多くを語らずとも共有できてしまうはずだ。端的に言って、あれほどまで非道に自らの力を武器に身勝手な欲望を発散する人間が存在すること自体が信じ難かったし、事件発覚当時に受けた衝撃は今でも薄れていない。
よく「彼は無罪になった」と言っている人(たまにメディアも)も見かけるが、それには控えめに言っても大きな語弊がある。裁判が行われた結果身の潔白が証明された容疑者に対して「無罪」という言葉を使うのならわかる。しかしグリーンウッドの場合は証拠人(=彼のパートナーやその近親者など)が警察の喚問を拒否するようになり、それ以上の事実の解明が困難になったため裁判自体が打ち切られただけだ。示談したのかもしれないし、それ以外の何らかの理由かもしれない。イギリスにおける性犯罪の立件率、有罪率が衝撃的に低いことも当然考慮しなければいけない。いずれにしても、彼の潔白は一度たりとも証明されてなどいない。
もっといえば「無罪かどうか」でさえ論点ではない。「無実かどうか」に尽きる。そして現実としてあの音声と写真が存在し、グリーンウッド自身(容疑こそ否定しているが)それらが捏造だなどといった主張は一度もしていない以上、少なくとも10月22日に彼があのような行為を行ったことは明らかに事実と考えるのが妥当だ。そんな人間がフットボール界の、しかもその頂点付近に存在するマンチェスター・ユナイテッドというクラブでセカンドチャンスを与えられる可能性があるという事態に対し、多くの人が反感を抱いているのだと思う(もちろんその中には私自身も含まれる)。
そしてその当事者となるマンチェスター・ユナイテッドのファン、とりわけマンチェスター市民にはそれ以上の思いがあるはずだ。これについては後述する。
しかし繰り返し書くが、当然我々はそれぞれ別の細胞を持つ人間なのだし、意見の相違は当然あって然るべきだ。たとえそれが各々にとって到底納得のいくものでなくとも、まずは様々な意見が公平に発表される社会こそが理想的なものだと思うし、その上で建設的な議論がなされれば一番いい。
世の中には違った考え方も存在する。
先日Twitterでサッカーキングによるある投稿を見かけた。それはBBCの人気番組 “Countdown“ のプレゼンターを務めるレイチェル・ライリーが、「グリーンウッドを復帰させるのならファンをやめる」と発言した件についてのニュースだった。
https://twitter.com/SoccerKingJP/status/1692378037680226744
このリプライ群・引用RTを読んだ時に、そこはたとない既視感を感じた。グリーンウッド関連のニュース、とりわけこのライリーの一件を報じるものでは、もちろん英語のツイートにもよく「グリーンウッド復帰」側の返信が転がっているからだ。
https://twitter.com/BBCSport/status/1692298337590890741
https://twitter.com/LukeShawArmy/status/1691846063680807171
https://twitter.com/UtdActive/status/1692278401766191186
↑の3件はあくまで一例に過ぎず、特に影響力の大きなアカウントでは似たような光景が繰り広げられていることが多い。唯一違うのは、その復帰を希望する(あるいはライリーなどのファンを批判する)ツイートに対して付随する反論返信の数である。
ここには重要な傾向がある。「復帰側」の投稿者のアカウントプロフィールを確認すると、大多数がイギリス以外に住む人物であることが多いように見受けられる。
これは当然アルゴリズムの問題もあるだろうし、たかだかTwitterの一部のツイート如きで国全体の態度が測れるなどと思うのは厳禁だが、少なくとも「居住国イギリス」の少なさは確かである。その証拠にフットボールに関してはイギリスベースでもある有料メディアであり、難解な表現が多出することもあり記事の購読システムそのものである程度のフィルタリングが働いている “The Athletic“ の以下ツイートには、多くのユナイテッドファンを含むイギリス居住者と思わしき人々からの無数の反対意見がぶら下がっている。
https://twitter.com/TheAthleticFC/status/1691844881273045217
“Greenwood Nigeria“ などで検索してもらえればわかるはずだが、「グリーンウッドの復帰を支持しているのはアフリカのファン」というミームじみたものまで発生している。個人的にはこのような一括り言説は吐き気がするほど嫌いだが、それくらい関連ツイートにはナイジェリア、ケニア、南アフリカといった居住地を表示させている人々からの投稿が目に付くということだろう。
繰り返すが、「意見の相違」自体には何ら問題はない。ただそれにしても、なぜここまで「賛成派」と「反対派」にわかりやすい傾向が生じるのだろうか?
私が考えたのは、「その人にとってのフットボールクラブの存在意義」がまるで違うから、という理由だ。
例えば「彼は才能があるのだから復帰させるべきだ」という意見がある。これは言うまでもなく、「マンチェスター・ユナイテッドの勝敗」を最大のプライオリティとしている人が持つであろう考えだ。
個人的に、私はこの考え方には到底乗れない。ユナイテッドファンじゃないから、では当然ない。「ユナイテッド」を私が応援しているクラブに置き換えても100%同じ考え方をすると約束できる。
「試合に勝つことが全て」。フットボールを見る理由は人それぞれで、もちろんそういった考え方もあっていい。というか、自国外のクラブを応援する最初のきっかけは得てしてそんなものだろう。強いこと、タイトルを取ること、勝つこと。それこそが縁もゆかりもない土地のクラブを応援する一番の理由になり得ることは当然理解できる。
では土地に縁やゆかりがあってそのクラブを応援している人たちはどうか。具体的に言えば、マンチェスターに生まれたからユナイテッドのファンをしている人はどうか。祖父母の代やそれ以前から家族でクラブをサポートしている人はどうか。そして、そういったカルチャーにシンパシーを抱いている人はどうか。
彼らにとって重要なのは「強いこと」ではない。自分の人間としてのアイデンティティであり、生まれ育った街や家族を象徴する存在であるクラブが「誇りを持てる」状態にあるかどうか。それに尽きる。
確かに強いこと、タイトルを取ることは誇りを得る一つの手段にはなり得る。しかし勝利=誇りでは決してない。それは私が渡英前から長年感じ取っていて、渡英後にはより強く思うようになったことだ。ホーム戦では試合の3時間前に来ていつものパブでビールを飲みながらフットボールに限らない最近の話をして、試合後もパブに戻って延々といろんなことを語り合う。アウェイ戦だってバスの中からどんちゃん騒ぎになるばかりか、途中では決まって2時間以上ものパブ休憩が挟まり(そのせいで出発が朝早くなっても!)、試合どうこうは関係なくフットボールを通じて友人と話すという行為が最重要視されている。
イギリスにおけるフットボールとは、第一義として人々が豊かな日常生活を送るための手段なのだ。
フットボールそのものが最終目的ではない。日々を過ごすコミュニティを繋ぐための一要素なのだ。
なのでそのクラブが存在する街の人にとってのプライオリティは、第一に「クラブが存在していること」、そして第二に「クラブが自分にとって誇りに思えるような状態にあること」であるように感じられる。だからこそベリーのクラブ消滅は本当に破壊的な出来事だったし、今年遂に復活を果たしたことは本当に重大で感動的な出来事だった。
もちろん私はマンチェスターに住むマンチェスター・ユナイテッドのファンではないので、何事とて断言することはできない。しかし例えば私が応援するクラブにグリーンウッドがローン移籍でもしてこようものなら、スタジアムは確実にもぬけの殻になる。これは私が接している(決して少なくはない)ファンの意見から明らかだ。
なぜなら、そんな人間が街の象徴たる偉大なフットボールクラブに所属し歴史ある我らがユニフォームを着て戦うということは、「全世界から街全体に『性犯罪者』の烙印が押される」ことに他ならないからだ。そこにはフットボールの試合の結果として得る栄光よりもずっと、ずっと大きな不名誉が発生する。
イギリスにおける「性犯罪」とはそういった類のものだ(というか全世界そうでなければおかしい)。「なぜ性犯罪をそこまで重視すべきなのか」とでも考える人が1人としていないことを切に願う。またここの認識に男女差が生まれるという考えは著しく誤っている。仮にあなたが男だったとして、あなたの彼女や友人、果ては家族が容易に被害者になり得ると想像するのは決して難しくないはずだ。あのグリーンウッドの音声を “Mistake“ と捉えるのは個人の自由だが、れっきとした “Big Crime” と捉える人が多数いることも世界中の誰もが受け入れなければならない。
問題の根源は想像力の欠如にある。
「彼は無罪だった」と言うだけなら情報が不足しているだけなのでまだいい。問題なのはフットボールの能力がこの問題における最大のマターだと考えること。「性犯罪」という行為そのものと社会的影響を過小評価すること。「グリーンウッドの復帰を妨害しているのは女性ファンだけ」などという「嘘」を恥ずかしげもなく喧伝すること。
(彼女が100%そうなっていると言いたいわけではないが大いにあり得る可能性として)世界中でストックホルム症候群の事例が数多存在していることを無視し、かつ多くの人があのおぞましい音声を聞き不快感を抱いたことを棚に上げ、「当事者が許しているのだからほっといてやれ」などと発言すること。
確かに「ただの一ファンでしかない」レイチェル・ライリーの名前の後ろについた “MBE“ の意味を考えず、かつては業界の誰もが夢見るSky Sportsのプレミアリーグ中継プレゼンターも務め祖父の代から(おそらく日本の大多数のファンよりも)長い年月をかけてマンチェスター・ユナイテッドをサポートしてきた彼女の声が持つ意味も無視して、「フットボールに女はいらない」などと何の理もないセクシズムをまき散らすこと。
フットボールが持つべき道徳的責任に無理解で、また特に後半の「多様性」の許容範囲からすら外れた意見からは、決して「建設的な議論」が導かれることはない。そこにはまず倫理観から生まれる攻撃が発生し、分断、憎しみあいへと繋がってしまう。
先に名前を挙げたナイジェリアなどの国についても改めて考えたい。もちろんそれらの国々の「一部の人々」が「Twitterで」そう言っているだけ、ということは先に明言しておく。一方で、一部の人々がわざわざ国名を出してまで「賛成派の象徴」と彼らをみなしていることも事実だ。
私は肌の色で人々の思考傾向が左右される、などと一瞬でも考えるほど愚かな人間ではない(南アフリカ一つとってもその思考は完全に有害な誤りだとわかる)。だからこそ、なぜネタにされるほど彼らの投稿が目立っているのかを必死に考えた。考えれば考えるほど、「人権教育」という言葉が浮かんできた。
一つの客観的な論拠として、人権の国別相対評価を行う指標として世界的に知られる ”The Human Freedom Index” の最新版を参照すると、名前の挙がった南アフリカは世界77位、ケニアは109位、ナイジェリアに至っては123位と軒並み下位の国々となる。参考までに日本は15位、イギリスはその1つ上の14位だ。
https://worldpopulationreview.com/country-rankings/freedom-index-by-country
世界的に「人権」そのものを評価する信頼性の高い指標が存在しないこともあり、他の要素も絡む「自由度ランキング」で全てを評価することは当然できない。しかし一方で、ナイジェリアにはボコ・ハラムのような人権蹂躙組織が拠点を置いていることもまた容易に想起できるところで、少なくとも今まで「先進的な人権教育が行われている」というコンテクストでこれらの国々の名前を耳にしたことは私はない(ここはもし間違っていたら訂正したいので、ご指摘をお願いしたい)。
https://www.moj.go.jp/isa/content/001368641.pdf
そう考えると、そんな彼らの意見と「日本の一部の目立つ意見」が似通っていることは興味深い。
Twitterというツールの特性として、黙っている人の意見が見えないため声高に意見を述べる人の存在が目立ちがち、という点を忘れてはいけない。だからTwitterの論調が社会の論調、と論じるのは往々にして間違いだし、あくまで「一部の」という言葉を何度でも強調させておく。またそういった場であるからこそ、一度でもキャッチーな論調が発生するとそれに引っ張られる人が必ず出てきて、反対意見を言いづらい空気が生まれることも多い。
しかしその上で、この可視化できる類似性を「同じ現地以外のサポーターだから」の一言で片付けていいものかどうか、私には疑問だ。ここには新たな思考のきっかけとなるべき発見が隠れているのではないか、その思いを捨てきれない。
人々が一つの物事を考える上では、どうしても共有が不可欠な大前提がある。
「イギリスに本拠地を置き1800年代から当地に根付いて発展してきたクラブの重要な意思決定において、どういった層の意見がより重視されるべきか」ということ。「世界中に多くのファンを抱えるスポーツクラブでプレイし、地球上あらゆる場所の多くの子どもたちに大きな影響を与えうる存在」が持つ影響力。「性別や肌の色など選択の余地なく生まれ持ったものに関係なく与えられるべき」趣味嗜好の自由。
いくら異なる意見が重要と言っても、それがこれらの(一般常識や最低限の倫理観を踏まえた上で設定された)大前提を踏まえた上での論理構築でない場合には、まともな意見交換など成立し得ない。多くの成熟した社会において、これらに準ずるような前提に確たる論拠も持たずあえて挑戦するということは、ほぼ反知性主義者と同然の扱いを受けることを意味する。
私はイングランドのフットボール、とりわけあるクラブのことを15年前に好きになって、日に日に強くなる一方だった「もっとこのクラブについて知りたい」、「なぜこれほどまでにファンカルチャーが熱いのか体感して知りたい」という思いが限界突破したことで、安定した仕事を辞めてまで当地に移り住むという選択をした。
それと同時に、そんな重大な決断に踏み切った最大の理由として、私はフットボールを通じてもっと様々なことを学んで、実りある人生を過ごしたいと思っている。例えばイギリスに住んで英語を学ぶことでその後のキャリア選択を広げるという目的。イギリスに住んで日本とは異なる価値観を学ぶことでいろんな人々について理解したいという目的。日本を離れることでより日本の良さもより学びたいという目的。まだ移住して1ヶ月だが、フットボールは様々な得難い経験を私にもたらしてくれている(過去記事に書いてきた通りだ)。
おそらく(留学のみならずいろんな意味で)私と似たようなバックグラウンドを持つ人はそんなにはいないと思うので、そんな人間が持つ一つの考え方として今週の記事を書いた。
ここで書くべきことではないので詳しくは書かないが、今回のテーマは私にとって非常に大きな意味を持つものでもある。なのでここまで長く、言葉を選びながら文章を紡いだ。
みなさんは、どう思いますか?
↓ここから、マンチェスター・ユナイテッドによる声明発表後に加筆
声明を読んでまず抱いたのは、「なんと歯切れの悪い文章なんだ」という感想だった。もちろん最終的な判断自体には諸手を上げて賛成する。しかしこの件について極めて不透明な形で大量の時間をかけた挙句、アダム・クラフトンに後手後手に回る動きを全てリークされて苛烈な世論からの反発を受けるなどその信頼を大きく失墜させたクラブにとって、この声明が起死回生の逆転打になったとは到底言い難い。
既に幅広く指摘されていることの繰り返しにはなるが、やはりどうしても目を引くのはこの一節である。
「オンライン上に投稿されたものは事態の全容を指し示していない」、「メイソンは当初起訴された犯罪は犯していない」。が、「彼は責任を負うべきミスをした」。
いったいどういった種類の証拠があればこういった結論が導き出されるのか、甚だ理解に苦しむ。確かにあの音声は15分あるうちの1分の切り抜きに過ぎなかった。しかしクラブもグリーンウッドも『あれが捏造だ』とはやはり言っていない。ならば残りの14分はひたすら「これは冗談だよ~」とでも言っていたのだろうか。何より、あの怪我をした写真は自傷行為だったとでも言うのだろうか?
https://twitter.com/MicTuathaigh/status/1693629530676531505
彼に向けられた疑惑を晴らす(=この問題の唯一無二のマター)上で最も重要なこの部分について、最も説明が必要なこの部分について、彼らは何ら説得力のある弁解を行わなかった。世界中を震撼させたあの行為について納得の行く説明がなされない限り、グリーンウッドの名誉が回復することは二度とない。それがあのおぞましい行いへの相応の対価であり、あらゆる手段を用いて彼の復帰を試みたマンチェスター・ユナイテッドも、最後はようやく大多数の声に耳を傾ける形になった。
残念ながらこの声明が発表された後も、いくつか信じ難いような復帰賛成派の意見を目にした。
この2023年にもなって、「完全なるWhataboutismを宣うことで説得力のある意見を言った気になっている」ように見受けられる人がまだある程度いることには心の底から驚く。明らかに比較対象として相応しくない他クラブの選手と今回の件を同列に語り(発生した状況も罪名も理解していない証拠だ)、そもそもそれらの選手も刑事罰を含むそれ相応の処分やファンからの苛烈な反応を受けたことも無視し、さらにどういう理屈かそれをグリーンウッドの擁護に用いる。そんな思考法は小学校でですら通用しない。
「他のことを棚に上げてここまで槍玉にあげるイギリス人は偽善者だ」。もちろんこんな馬鹿げた考えを持っている人は少数派の中の少数派だ(でも見てしまった)。ただそれにしたって、この件からそんな知性のかけらもない結論を導く人がこの世に1人でもいることが信じられない。
まずもって、ここまで状況証拠の揃った疑惑レイピストを激しく批判することの何が「偽」の「善」なのだろうか?それはナショナリズムという古びた概念を持ち出さずとも、人間として当然の反応なのではないだろうか?
また確かに、例えばこの国では毎日のように殺人事件も起きているし、人種差別などの最低最悪の事案も日常に転がっている(人種差別と性犯罪はどっちも最低最悪でどっちも根絶すべき、という当たり前のことも一応書いておく必要があるだろう)。しかしなぜ、それに対して事件を起こした人だけでなく、「イギリス人」というどこまでも実態のない謎の概念が責任を負う必要があるのだろうか?「イギリス人」全員が犯罪的な心の持ち主だと本気で思っているのだろうか?ならば過去に太平洋戦争を起こした「日本人」は未来永劫世界中のどんな犯罪も批判してはいけないのだろうか?
そういった類の、あまりに馬鹿げたことを言っている自覚は果たしてあるのだろうか?
マンチェスター・ユナイテッドにプランの変更を迫る迫真のジャーナリズムを見せた “The Athletic“ アダム・クラフトン記者(彼がTwitter上で浴びている称賛の嵐を見てもなお、「一部の女性だけが反対している」などと言える人はいないだろう)を筆頭として、この件からは「フットボールという国最大の文化と真摯に向き合う英国大衆の力」をまざまざと見せつけられた。
当事者のクラブはさておくとしても、ファンも含めたフットボール界全体にはしっかりと自浄作用が働いているのだなと感心したし、これがロジックとセンチメントの調和した社会のあるべき姿だと心から思った。
(あのサウジアラビアでさえ彼のプレイを拒もうとしているのだから、そもそもそんなに難しいモラルのロジックではないのだが)
https://twitter.com/talkSPORT/status/1694041870374977599
一方でとても残念なことに、ネット上で見たごく一部の人々に対しては「一刻も早くTwitterなんかのエコーチェンバーから抜けてほしい」という思いも持ってしまった。なぜこの期に及んで一部の人が「復帰派こそがマジョリティ」などと依然として思い込めるのか、「クラブが少数派の声に屈した」などと本気で信じているのか正直不思議でならなかったが、きっとSNSなどで形成された(しかも日本語の)狭いコミュニティが彼らにとっての「全世界」にすり替わってしまっているのだろう。そこに入ってくる「現地の声」は日本語のニュースになる(ほど大きな影響力を持つムーブメントで大衆からの支持も集めている)女性サポーター団体の抗議や女性著名人の意思表示だけだからこそ、それが全てかのように錯覚してしまうのかもしれない。
誤解を恐れずに言うが、このレベルの問題でですら「本当に現地が反対多数なのかわからない」のであれば、それはどう考えてもその人の英語か調査スキルの問題だ。ここまで数々の問題点を挙げてきた中でも、この理解力・想像力という部分は非常に大きなウェイトを占める。もし少しでもそこに危機感を覚えた方がいれば、今からでもイギリスの報道に直接触れるという行為から始めることを強くおすすめする。なぜならそれによって、バーニー・ローネイなどの偉大な論客の考えに触れ、多くの示唆を得ることができるからだ。
そして何度でも言うが、「これくらいのことで」などという言葉を今回の件に対して用いるのは実に危険で不快な思考回路だ。どんなにフットボーラーとしてその選手のことが好きであろうが、「(明らかに)レイピストである」ことまで許されるような種類の才能など現代社会には一つとして存在しないのだから。
これまでSubstackでは基本的に観戦記を書いてきたが、今後はこういったGeneralな話題についても書いていく。
初回は些か重い話題となってしまったが、一方でこれはまさに私が惹かれたこの国のカルチャーに深く関係する話でもあったので、問題に正面から向き合うことにした。来週も「あるクラブ」の試合についてではなく、今バーミンガムで行われているあるイベントについて書こうと思う。
今週のEFLアイキャッチ
チャンピオンシップ:ノリッジ、充実の日曜日
League One:3勝1分勝ち点2、宿敵相手にウィガン早くも借金返済!
League Two:5(FIVE)-5(FIVE)!
チャンピオンシップ
今週も全勝を継続させたトップ2だが、より正しく言えば両者共に全勝を「守った」という表現の方が適切だろう。毎週のように似たような試合を繰り返しているレスターはいいとして、今週はイプスウィッチも内容的にはかなり危なかった。
QPR、というよりギャレス・エインズワースのチームに対して、マッケンナのイプスウィッチはどうにも昔から分が悪い。この日も前線の個人技を武器にしたシンプルな戦い方の前に、正直なところ負けていても全くおかしくなかったレベルのパフォーマンスだったと思う。
先週の勝利が開幕前からの継続的なNegativityを払拭するきっかけにもなったか、QPRはもしホームで毎試合これだけの水準を維持できればまず残留はできるだろう。とりわけ突如として「1人で完結できる」選手になりつつあるシンクレア・アームストロングの充実ぶりは際立つところで、この試合の分水嶺となったのは間違いなく彼の負傷交代だったし、ここにイリアス・チェアーらが絡む形は今後も他チームを苦しめるはずだ。
またレスターも毎週毎週同じようなことを書いているが、依然として「3戦全勝」の語感に相応しい内容には程遠い。ここまで開幕こそコヴェントリーでそんなに簡単な相手ではなかった(とはいえホームだったので難関とまでは言えない)が、その後はハダースフィールドとカーディフという開幕前残留争いが予想された2チームが相手だったことも考慮すべきだ。その3試合でこの内容ではやはりまだ「証拠」が足りず、ロザラム、ハルと続く今後の日程を考えても当面の評価さえまだ先送りせざるを得ない。
ただチェーザレ・カサデイの決勝点に触れないわけにはいかない。Twitterでも書いたように5月のU20ワールドカップでの鮮烈な活躍によって幅広くそのユニークな選手としての特性が認知された中で、彼はキャリアを左右しかねない重要な1年をレスターで過ごす決断を下した。
彼のようなプロファイルを持つ選手にとって、エンツォ・マレスカのチームにおける8番の位置はまさしく適任だろう。去年のレディングのようなチームであればどうしても守備面の負担がかさみ、たとえ4-3-3であってもボックストゥボックス的な動きを強いられてしまったが、このチームであればまずボールが彼の下に運ばれてきてそこからの仕事を任せられる。「ストライカーのような動きを中盤でする」ユニークな彼にはぴったりの役割だ。
この夏のレスターの動きの中では、カサデイの獲得が群を抜いてロジカルな補強だったように思う。その彼がデビュー戦で追加タイムの決勝点、歓迎すべき帰結だ。
しかし今週、内容面で上位2チームを遥かに上回るインパクトを示したのがノリッジだった。日曜ランチタイムの中継カードだったが、前半が女子ワールドカップ決勝の後半と被ってしまっていたため、この試合の注目度はかなり低かった。幸か不幸かそんな中での出色のパフォーマンス、いずれにしても3位なのだからもうUnder the Rader FCとは言えない。
昨シーズンは年明けに就任し、一時的に勝利を重ねた時期こそあったが内容的には低空飛行を続けたこともあって、開幕前の段階ではデイヴィッド・ヴァグナーがこのリーグで持つ実績が些か過小評価されていたかもしれない。少なくとも守備面に関しては侮られるべきチームではないミルウォールに対して、ここまで何度もチームとして狭いスペースを崩しているのだから、どうしてもフロックとは考えづらい。
また単純に新戦力の活躍も顕著だ。ジャック・ステイシー、アシュリー・バーンズといった既に実績十分の選手はもちろん、これで驚異の公式戦開幕から4試合連発となったジョン・ロウにはもう「リーグ屈指の」という枕詞を使っていい。
そして極めつけがガブリエル・サラである。ここまでチャンピオンシップでキーパスの数が2桁に到達している選手はたったの3人で、3位スモールボーンが10本(怪我で2試合しか出ていないのにこの数字なのも凄いが)、2位デューズベリー・ホールが12本なのだが、1位の彼がなんともう19本である。もちろん自ら状況を打破していく動きもできるどころか得意という多才ぶりで、大覚醒の2年目を予感させる開幕だ。
ちなみに敗れたミルウォールのスタンドからは、”Gary Rowett, your football is sh*t” のチャントが大音声で轟いていた。傍から見るといくらなんでも早計過ぎるように思うし、ここまでは身のこなしがスローなままの新加入のケヴィン・ニスベットを最前線で使い続けるなど、ラウエット自身はまだ慣らしの段階と捉えているように見える。これまでの実績や現状のスカッドを思えば殊更、「チームに何を求めるべきか」には注意すべきだろう。
その他では4位バーミンガムや6位プレストンといったあたりが開幕前の期待を上回る3試合7ポイントのスタート。インスタにも書いたが、バーミンガムは三好の初ゴールという個人的なセンチメントを抜きにしても被枠内シュート0本でほぼ完璧な内容、プレストンも今週こそ早くもブーイングが出るほどの状況に甘んじる相手との対戦ではあったが、ライアン・ロウの下での進歩ぶりが伺えるここまでの3試合だ。
ジョーブ・ベリンガムの2得点があったサンダランドも今シーズンの初勝利。この2ゴール自体は得点者というよりはアシストの方を褒めるべきだとは思うが、偉大過ぎる兄の影から逃れるべく奮闘する彼にとっては待ちわびた一瞬だったことだろう。ちなみに彼については最近ベリンガム家を知る人から面白い話を聞いたので、またの機会に書きたいと思う。
共に初勝利を目指したミドルズブラとハダースフィールドのニール・ウォーノックダービーは引き分け。ボロの決定機の外しっぷりが目立った試合で、それ自体は運がないだけと考えるべきではあるのだが、どうしても昨シーズンの序盤がフラッシュバックしてしまう。あまり初勝利、そして2勝目までに時間はかけたくないところだ。
League One
早くも全勝チームが消滅し、無敗のチームも3つだけ。6得点1失点の成績に胸躍る6位ポーツマス、まったく失点する気配がない(そして点を取る気配もない)11位ブラックプール、そして3勝1分の19位ウィガン。あれ?
そう、なんともはや勝ち点8の剥奪からスタートしたシーズン、ウィガンがたった4試合を終えた時点で降格圏を抜け出した!当然剥奪がなければ首位だったことになる4試合10ポイント、それでもって開幕前の自動昇格候補2強だったダービーとボルトンを揃ってアウェイで破っているのだから、近年のリーグでも稀に見るとんでもないスタートだ。
お互いにとってのビッグダービーとなった土曜日の試合、もちろん遥かに優勢と思われたのはボルトンの方だった。何せここまでの3試合ではいずれも3ゴール、失点は前節追加タイムに喫した1点だけ。それにアウェイチームが圧勝してみせるのだから、その衝撃度たるや言わずもがなだろう。実際0-4で負けたのにもかかわらずボルトンはxG, xGAともに依然リーグ1位。真に強いチームがこのスコアで敗れたのだ。
実際完璧に崩したゴール、というのはほぼなかったが、それでも偶然で出るような結果ではない。中でもチャーリー・ワイクの活躍が本当に嬉しい。あの練習場で突然心停止し倒れた日から1年半以上が経ち、多くの主力選手が(容易に理解し得る理由で)ウィガンを離れた中で、自身とクラブのかつてない苦境を乗り越えた彼が復活への道を歩み出した。応援せずにいることは不可能だ。
首位に立つのはこちらもサプライズパッケージのケンブリッジだ。昨季の大逆転残留から主力が大勢抜けてしまい、残留という目標さえ達成は厳しいのではないかと評する声が大半だった中で、4試合を終えての首位は真に立派な成績と言える。今週はブリストル・ローヴァーズに2-0の完勝、中途半端なポゼッションを仕掛けてくるチームは格好の餌食になってしまうだろう。
そしてもう1チーム、開幕前に多くの人が降格候補に挙げながら今週頑張ったのがレディングである。アンディ・キャロルをはじめとした複数の選手が移籍リストに入ったという報道が広く出回った中、前節のミッドウィークに続いてまったくもって無名の若手たちがチームシートに並び(スタメン選手の背番号の平均が平均年齢を上回っていた!)、その上での連勝となった。
まあミッドウィークは公式戦5試合を終え未だ1点も取っていないチェルトナムが相手だったし、土曜は3連勝スタートのスティーヴネッジと言えども22分に1人退場してしまってはさすがに厳しかったので、相手に恵まれた面があることも書いておく必要はある。それでもあらゆる面でクラブに新しいアイデンティティを植え付けようとしているルベン・セジェスの仕事ぶりは広く称賛されるべきで、ピッチ外では依然Depressingな状況が続く中で、このティーンエイジャーたちの奮闘はファンの心の清涼剤となっている。
開幕戦、バーンズリーに0-7で敗れながら早くも順位表ではそのバーンズリーの上に出たポート・ヴェイルも当然称賛に値する一方で、今週最も心配になったチームがチャールトンだ。メンバーと今夏行った補強を思えば満足できるはずのない3敗目、しかも失点の形がほぼ最悪に近い。追い付いた後で完全に勝ち越しの方へ意識が向いていたのかもしれないが、18歳のデビューしたての若者に全責任を投げて複数人がトラックすら怠る3点目の守備からは、試合への気持ちの持っていき方に問題を感じる。
L1では言わずもがなの豪華メンバーが揃った中で唯一不安視された監督のディーン・ホールデンは、シーズン序盤にして早くも正念場を迎えたのかもしれない。どのカテゴリでも「昇格争いのチームを作り上げた」経験を持たない彼の最大の後ろ盾はファンからの強い支持だったが、その肝心のサポートにグラつきが生じてきている印象も受ける。次は本来同じくらいの立場を目指すべきオックスフォードが相手、言い訳が減ってきた。
最後にポーツマスとチェルトナムの試合で起きたとびきりの「非日常」についても触れないわけにはいかないだろう。
https://twitter.com/footballdaily/status/1693583308267942230
事件が起きたのは後半が始まり10分が過ぎたあたりのこと。既に前半に副審の1人が負傷交代しており、彼に代わってフォースオフィシャルがラインズマンを務めていたところ、そのスティーヴン・ブラウンまでもが怪我を負ってしまった。
もちろんこれ以上有資格者の審判員はおらず、ピッチ内では試合中止さえ視野に入れて話し合いが行われていたという。緊急事態に伴いスタジアム内には「お客様の中に審判経験者はいらっしゃいませんか!」のアナウンスが流れていた。するとホスピタリティシートが賑わいを見せた。
「やりたくはなかったが一種の同調圧力で」名乗り出たというジュリアン・ブロウニングは、50年来ポーツマスをサポートし続けているシーズンチケットホルダーで、地元リーグの試合で長年笛を吹き続けている「経験者」だった。彼の経歴を知る周りの顔馴染みたちが猛アピールしたせいで、ブロウニングはこの試合の救世主となった。
「ただのトレーナーとショーツしか持っていなかったので、怪我をした彼や他の審判からユニフォームを借りました。靴なんかは『存在感を出すためにはこれの方がいいんじゃないですか?』なんて言われて金色でね!」
「フラットン・パークのピッチに足を踏み入れたのは1978年、11歳の時にスクールカップの決勝を戦った日以来でした。ポンペイのシーズンチケットはもう50年以上持っていてね。試合が再開されるとアドレナリンが溢れ出てきましたが、同時に2つ心配なことがありました。1つは際どい判定を強いられたらどうしようかということ。もう1つは『もしポンペイが点を取ったらどうリアクションしよう?』と…。」
ジュリアン・ブロウニング
「彼がスタンドに向かって敬礼した時はどうなることかと心配した」とはチェルトナムのウェイド・エリオット監督の言葉だが、終わってみれば「彼は今年担当してくれた中ではベストの審判だった」との最上級の評価を得たブロウニングの奇妙な時間は、追加タイム21分を終えた17時22分に幕を閉じた。
ホスピタリティラウンジには彼の飲みかけのビールが残っていたという。
League Two
13得点は断トツのリーグ1位、13失点は断トツのリーグ24位。オーナーたちからまさしくハリウッドエンディングでも強要されているのか、開幕から1チームだけ謎の競技に興じるレクサムの武勇伝に「5-5ドロー」が加わった!
そして更なる後日譚として、この試合での自らのパフォーマンスが決め手となり、ベン・フォスターが現役引退を決断した。「5-5の試合を最後に引退したGK」など過去に存在するのだろうか?いずれにしても過去にも数々のモーメントを生み出し、晩年には「サイクリストフットボーラー」という前代未聞の肩書まで作り出した偉大な選手。彼の次なる人生への船出を心から祝福したい。
この試合からあえて1人選手の名前を挙げるとすれば、スウィンドンのダン・ケンプだろう。昨季後半ハートリプールでの大奮闘が記憶に新しい24歳、その昨季からの合算では直近19試合で12ゴールとなったばかりでなく、「あのベン・フォスターを引退に追いやった男」の称号も手にしたことになる。ドリブルの切れ味もシュートの精度も増す一方で、得点王チャレンジとて夢ではないかもしれない。
こちらも十分マッドハウスなトランメアとサルフォードの3-4ゲーム。しかしこの試合に関して言えば、ハットトリックヒーロー、カラム・ヘンドリーがただひたすらに格の違いを見せつけただけの試合だった。所属クラブがサルフォードでなければとっくにステップアップしているはずの選手で、あるいは残り8日間での動きもないとはいえない。
首位は唯一4連勝のジリンガムで、シーズン成績は4得点0失点の美しさを誇る。人々を仰天させ続けるクロウリーはこの日もまたその実力を十分に証明する出来も、ドミニク・テルフォードのPKストップが明暗を分けた。全て1-0勝ちとあってどちらにも考えられるジリンガムのここまでだが、なんと前述のヘンドリーを狙っているという話が出ている。
開幕前の昇格候補筆頭だったストックポートは第4節にしてようやく初勝利。しかし相変わらず決定力不足が課題のままではあり、ただの不運と見るか戦力不足と見るか、ここも移籍市場クローズまでの動きに注目が集まる。
やけに3点取って勝ったチームが多かった今週のL2。その内の1つはアウェイ初勝利のノッツ・カウンティで、遂にマコーリー・ラングスタッフにEFLでの初ゴール(しかも2発!)が出た。何せ昨季はPKなしで5部42ゴールを記録したスーパーストライカー、当然これがFirst of manyになるはずだ。
降格組モアカム、そしてデレク・アダムズにとっては実にスイートなブラッドフォード相手の3-0勝利。21/22シーズン、アダムズ時代の恨みを忘れていない相手ファンからは “Derek Adams, your football is sh*t“ (今週2回目)のチャントが浴びせられる中、全ては結果だと言わんばかりのセットプレイ2発を含むポゼッション36.4%の快勝だった。
最後は「キックオフから始まるハイライト」マニア向け、トロイ・ディーニーがデビューを飾ったフォレストグリーンのDFラインをニューポートが完全に攻略した動画で。
Greenwood問題についての論考、ありがとうございました。
日本在住の20年来のユナイテッドサポーターです。
日本語圏でのエコーチェンバーのかかった復帰待望論や、まさに指摘されていたような"一部の"女性団体による反対で立ち消えになったような事を宣うYouTuberなどにほとほと嫌気がさしていたところでしたが本記事を読むことができ胸のつかえが取れるような思いがしました。
私も僭越ながらイングランドのフットボール文化に圧倒され憧れた人間として、今回の彼との決別には安堵しました。(クラブからの歯にものが挟まったようなコメントにはがっかりしましたが。)
万が一復帰した場合にはサポートを諦める決断をしようとしていたので、最悪は免れたと言ったところかもしれません。
歴史、文化、家族、宗教の様なクラブを汚される思いというのはスパーリーグ構想と似たものを感じましたが、いかがでしょうか。
ニュースレター登録いたしました。色々な情報を楽しみにしております。
今後とも、よろしくお願いします。
素晴らしい記事。
僕は彼の問題が起きた時にマンチェスターに住んでた。
みんなで話したよ、ルームメイトの18歳のサルフォードのサッカー選手とも。
グリーンウッドを、彼は知ってたからね。
でも、本当にこの問題は難しくて僕には
詳しく書くところ僕は日本人で、そこで育ったフットボールが染み付いた若い子を前にこの問題に深く何かを言えると思えなくて絶句してたディナーを覚えてる。